自動車業界100年に一度の大変革期。CEOが語る、テクノロジーを武器にしたムサシの挑戦

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自動車業界は今、大きな変革期を迎えています。

自動運転に関するニュースがテレビで流れることもあれば、電気自動車を街で見かける機会が増えたと感じる方もいらっしゃるかもしれません。

私たち武蔵精密工業(以下、ムサシ)は、自動車部品サプライヤーとして発展してきた歴史があり、その自動車業界はまさに100年に1度といわれる大変革期を迎えています。

もしこのまま何も策を講じなければ、事業が先細りしていくことは明白です。

しかし私たちはこの状況をポジティブに捉えており、自動車部品サプライヤーのムサシという枠を壊し、ムサシのコアであるテクノロジーで社会を支える「エッセンシャルカンパニー」となるためのチャレンジを始めています。

この内容について詳しくは、前回のインタビュー記事『ムサシの挑戦 自動車部品メーカーから新たなテクノロジー企業への変革』をご覧いただければと思います。

ムサシはなぜここまで変化に強く、今回の大変革期も成長のチャンスと捉えることができるのか。

1938年創業のムサシに刻まれた「挑戦のDNA」の背景とともに、私(※)が海外で過ごした10代からのエピソードにも触れる形で、ムサシの変化の強さに対する源泉を紐解いていきたいと思います。

(※この記事は武蔵精密工業株式会社代表取締役社長である大塚浩史へのインタビュー内容をもとに、一人称形式で編集したものです)

海外で起業を考える学生時代 ~アメリカ留学期~

1965年、私は大塚家の次男として生まれました。

愛知県豊橋市の田舎に生まれたこともあり、「会社は長男が継ぐものだ」と考えていたので、まさか将来、自分がムサシの社長になるとは思いもしませんでした。

私は高校卒業後にアメリカへ留学し、大学を卒業するまでの4年間を現地で過ごします。1980年代のアメリカはApple製のコンピューターの普及期で、「これからは企業に設置された巨大なコンピューターではなく、個人が所有するパーソナルコンピューターの時代になるんだ!」という期待感が高まっていました。

スティーブ・ジョブズがそうであったように、私も今でいう「スタートアップ」に関心があり、漠然とですが大学卒業後はそういうことをやりたいと考えていました。

余談ですが、現在ムサシでは新規事業創出プログラムをはじめ、スタートアップ企業への投資、豊橋駅前への『MUSASHi Innovation Lab CLUE』というインキュベーション施設の設置などを積極的に行っています。

もし自分が今20代でムサシに入るとしたら、こういう環境があったらいいなと思うことにどんどん投資しているんです。かつての自分がアメリカで見てきた、若い起業家が立ち上がる様子と重ね合わせているんでしょうね。

さて、話を1980年代の後半に戻しましょう。

転機が訪れたのは、ビザの関係で帰国した22歳の頃です。ある日父から「ムサシに入らないか?」と打診されたんです。父から何かを頼まれることは非常に珍しく、それがきっかけで、日本の自動車業界へと足を踏み入れる決意をしました。

社会人生活のスタート ~入社期~

自動車業界を俯瞰して学びたいという思いがあり、帰国後は本田技研工業(以下、ホンダ)に入社しました。これが私の社会人生活のスタートであり、日本人の中で働く初めての経験となりました。まだ本田宗一郎さんもご存命だった頃の話です。

大学在学中は周りに日本人が一人もいない環境だったため、日本の慣習に馴染むまで時間がかかったのを覚えています。アメリカの個人主義ではなく、集団やチームのことはホンダで学んだといっても過言ではありません。

そして、この頃に強く影響を受けたのが、ホンダの人材教育方針です。これが印象的で、私の人材育成に関する考え方の原点にもなっています。

要点を言えば、チャレンジングな環境を用意し、その追い込まれた状況で良い知恵を生み出そうという取り組みです。実際に今のムサシもまた、挑戦や革新が当たり前の社風です。

28歳、経営者としての原点~イギリス駐在期

私の社会人としての原点はホンダでしたが、経営者としての原点はイギリス駐在期にあります。

ムサシは1980年にアメリカ・ミシガン州デトロイト近郊に営業拠点を設立し、グローバル企業への一歩を踏み出しました。その後も1990年代を中心に、アジアやヨーロッパへと生産拠点を展開していきます。

ムサシがイギリスに工場を設立したのは1993年の話で、私は「英語が話せるから」という理由で現地入りが決まりました。28歳の出来事です。

工場を設立する土地選びに始まり、工場内の設計から社内のルール作り、採用・教育、生産管理の仕組み、などなど……。本社からの支援はあるものの、これまでやったことがないことに取り組む日々は、とにかく大変だったのを覚えています。

その中でも印象に残っていて、経営者として大きな学びがあったのが「タイムカード」に関するイギリスの慣習でした。なんと、定時の10分前になるとタイムカードの前に行列ができるんです。私からすると信じられない光景だったので、聞いてみたんですよ。これはどういうことなんだと。

すると、その返答に、私は驚きましたね。

「会社は私の時間を買い、労働力に使っている。でも本当の自分の時間は、プライベートの中にある。会社での自分は、搾取される側の人間なんだ」というのです。

そこで気づきました。管理することではなく、「管理しないこと」が最高のマネジメントなんだと。

もちろん会社に来ることが喜びになればそれが一番です。しかしまずは、搾取する・されるの価値観ではなく、一緒に働く「仲間」と思える環境づくりをすることが、経営者として大切だと考えるようになったんです。

最近ではリモートワークの働き方が当たり前になる中で、「見えない時間をどう管理するか?」という議論もあるようです。でも本当は、管理しなくても自律して動ける組織が重要で、そのような働きかけができているかどうかが大切だと思うんです。

理念継承で、数々の危機を乗り越える ~社長就任期~

2006年、私は40歳で社長に就任します。その時に、最初に取り組みたかったことが、ムサシの企業文化の原点に立ち戻ることです。

ムサシには創業当初から脈々と受け継がれている「質実剛健 至誠一貫」の精神があります。

『私どもは、史書においても、また長い生涯の間にも、多くの企業の盛衰を見てきた。至誠一貫の精神で結ばれた人間集団で、質実剛健の気風をもつ者が滅びたものは少ない。私どもは、この事実を忘れてはならない。』

これは創業者である大塚美春の言葉で、現在もムサシの原点となっています。

このような土台がなければ、企業として永く存続することはできないと考えたんです。当時、創業者の言葉を受け継ぎ、理念を社員に伝えていくことが自分の役割だと考えました。

その際、さらなるグローバル企業へ牽引するため「ムサシフィロソフィー」を制定し、ムサシ・グローバル・ビジョン2020「Be Unique!! ~ユニークで行こう!~」を掲げました。

この土台があったからこそ、リーマンショックや大規模自然災害など数々の危機をバネにして成長を実現できたと考えています。

大変革期をチャンスと捉える、ムサシ挑戦のDNA

2021年4月、私たちは新たに、ムサシ100年ビジョン「Go Far Beyond!枠を壊し冒険へ出かけよう!」を策定し、自動車業界の大変革期をチャンスとして成長するため、次なる取り組みを進めています。

ムサシの83年の歴史を振り返ると、今までにも何度も大きな事業環境の変化に直面しており、その際には必ず「ピンチをチャンス」と捉えた新たな挑戦をし、その後の一段の成長につなげてきました。この挑戦の歴史こそがムサシのDNAです。現在のコア事業であるモビリティ事業に加え、AIやエナジーソリューション、農業、植物バイオなどの領域でイノベーションに挑戦しています。

また当社では「ムサシカーボンニュートラル宣言」を2021年5月に打ち出しました。創業100周年である2038年までに事業活動(*1)でのカーボンニュートラルを目指す「グリーンオペレーション100」を策定、さらに2050年にはバリューチェーン全体(*2)での二酸化炭素排出量実質ゼロの実現を目指しています。

従来、企業において環境対策はコストだと認識されていました。しかし、ムサシではCO2削減や低炭素化を+「E」として価値の源泉に置き換え、製作過程でのCO2排出が少ない商品やCO2排出削減に貢献できる商品など、新たな価値の創出に取り組んでいます。

ムサシとしても、カーボンニュートラルに対する完全な正解は見えていません。でも走り出さないといけないですよね。カーボンニュートラルの実現は、もはや全人類にとっての責務となってきています。人間と地球の豊かさを維持するうえで必須だと考えています。

ムサシの使命は、テクノロジーへの"情熱"とイノベーションを生み出す"知恵"をあわせて、人と環境が"調和"した豊かな地球社会の実現に貢献することです。これからのムサシの挑戦を楽しみにしていてください。

(*1) scope1, 2
(*2) scope1, 2, 3

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